武内和久、山本雄士著「投資型医療 医療費で国が潰れる前に」読書感想文

今回は、先日読んだこちらの本の感想を書いていきます。

 

 

 江草も医療費問題については普段より興味があるところでしたので、この本の面白いタイトルが気になって、手に取りました。

 

江草の解釈では、本を通しての著者たちの基本的な主張は以下の通りです。

 

検診でひっかかっても精密検査を受けないなど、健康になる努力をしてなかった人たちの医療費のために皆のお金が浪費されるのはおかしい。現在の「病気の診断と治療」のみを目的とする「トラブルシューティング型医療」から、「健康のケア」を目的とし病気の予防を軸とする「投資型医療」にすることで、医療費の抑制や、皆が長く元気でいられる「持続可能な社会」を目指そう。そのために、社会全体の意識改革や、ツールとしての「マネジメント」の活用、医療の既成の枠組みの改革が必要である。

 

全体に勢いのある記述で、著者たちの医療に対する熱い思いが伝わってきます。今の日本医療の問題も分かりやすくまとめてありますし、最後に示されている「投資型医療を実現するための七つの提言」もいずれも興味深いものです。総じて、一読の価値はある本と思います。

 

ただ、本書の議論において、重大な問題点が二点ほどあるように思います。

全体に価値のある提言ではあるとは感じつつも、よりよい議論にするために、あえて問題点についても江草は指摘しておきたいと思います。

 

①本当に「投資型医療」で医療費が抑制されるのか?

問題点の一つ目が「本当に投資型医療で医療費が抑制されるのか?」という点です。

サブタイトルに「医療費で国が潰れる前に」とありますし、本文中にもたびたび医療費抑制を意識した記述が出てきますので、予防医療を軸とした「投資型医療」の大きなメリットとして医療費抑制効果があると著者たちが考えてることは明白でしょう。しかし、それはあまりにも素朴すぎる考えです。なぜなら、現在の医療経済学の議論の中では、「予防医療は医療費削減にはつながらない」とする意見が多いからです。

「予防医療で医療費を削減できる」は間違いだ | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュー

予防医療のうち医療費抑制に有効なのは約2割 – 医療政策学×医療経済学

健康は義務ではない 「予防医療」を医療費抑制の道具にするな - BuzzFeed

もちろん、このような「予防医療が医療費削減につながらない」という主張が誤りで、「予防医療にはちゃんと医療費削減効果があるのだ」と反論するのは健全な議論ですし、問題はありません。しかし、本書の中では江草が読む限り、予防医療の医療費削減効果について疑問符をつけている医療経済学者(専門家)が多い事実の提示や、彼らの主張に対する明確な反論は見受けられませんでした。

かろうじて、反論と言えそうなところは第5章に数ページ程度ありますが、

人々が病気になるのを待ってから医療が介入して治療を行うために、どうしても治療のコストが増大してしまう「トラブルシューティング型医療」に対し、より予防的で攻めの医療である投資型医療は、健康の維持が重視されるために全体の治療のコストを抑えることができる。

(中略)

私たちが切磋琢磨によって医療の価値を向上すればするほど、投資型医療におけるコストは着実に下がっていくからだ。

(第5章より)

など、そもそも予防医療にそのような期待されているコスト削減効果がないのではと疑問視されているのに対して、「投資型医療はすごいので、がんばれば必ずコスト削減効果がある」とただ言い返しているだけの、漠然とした反論にとどまっています。

また、「質の高い医療を提供すれば、医療費は抑えられる」根拠として、ある論文から米国のメディケア支出とクオリティランキングが反比例しているとするグラフも引用していますが(第5章「図18」;原本はMedicare spending, the physician workforce, and beneficiaries' quality of care. - PubMed - NCBIのEXHIBIT1)、そもそも(著者たちも言っている通り)相関があまり強くないですし、相関は示せても、「質の高い医療を提供すれば、医療費は抑えられる」との因果関係を断言できるほどのデータではありません(論文の執筆者も、この結果からの因果関係の推論は慎重に行うべきと記しています)。言える結論としては、質の高い医療を提供すれば医療費は抑えられるかもしれない、程度でしょう。さらに言えば、この論文の議論は特に「予防医療」に限ったものではなく、米国で著者たちのいう形の「投資型医療」を実験的に行ってみたという研究でもありませんので、著者たちの掲げる「投資型医療」がこのような「医療費抑制効果のある質の高い医療」に本当に当てはまるか否かは全くの未知数です。

確かに、筆者たちが提言されている通り、医療の方向性として「トラブルシューティング型医療」から「投資型医療」に切り替えていくことには賛同できる面はあります。しかし、それはあくまで「投資型医療」の健康面でのメリットを考えるからで、「投資型医療」推進の論拠として、疑義の多い「医療費抑制」に強く拠っている点は疑問です。医療費削減効果の有無は、極めて重要な論点ですし、より多くの紙面を割いてでも丁寧に反論すべきだったと思います。

 

②不必要に不健康者を悪者扱いしていないか?

問題点の二つ目は、「不必要に不健康者を悪者扱いしていないか?」という点です。

本書では、いわゆる"メタボ"の人たちの生活習慣を揶揄する表現が目立ちます。

 

今の医療費の中には、「ほんとうに気の毒な、まさかの病気やけが」の費用だけでない費用が、実は相当含まれてしまっている。つまり、あなた自身は健康でも、不健康な生活にどっぷり浸かった隣のメタボの医療費も、幾ばくかは負担しなければならないということだ。

(第2章より)

 

あなたはあなたの隣人に自分の暴飲暴食のツケを払わせていたり、逆に隣人の暴飲暴食のツケを払わされたりしているとも言えるのだ。さらには、現役時代に健康をないがしろにして(されて)病気になってしまった高齢者の分の医療費というツケを背負っている部分があるとも言えるのだ。

(第6章より)

 

これらの「不健康な生活にどっぷり浸かった」や「暴飲暴食」といった毒のある表現からは、「自己責任で生活習慣病となっている人たち」への著者の怒りが見て取れます。気持ちは理解できる部分もありますが、丁寧な議論とするためには、このような毒のある表現は避けるべきと江草は考えます。不健康者を悪者扱いするような表現は、読者に容易に「生活習慣病は自己責任」かのような印象を抱かせるからです。

もちろん、その名の通り、生活習慣が多くの「生活習慣病」の重要な因子であることは間違いありません。しかし、「生活習慣病」には遺伝的側面や社会経済学的側面など、生活習慣以外の要素も大きく影響していることが知られており、「生活習慣病を自己責任とみなすこと」には慎重な声が数多くあります。

健康は義務ではない 「予防医療」を医療費抑制の道具にするな - BuzzFeed(※再掲)

生活習慣病は個人の努力で防げるか 医療費抑制と自己責任論:朝日新聞デジタル

健康の自己責任論は不毛 公衆衛生の立場から : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

白熱討論!「健康格差」は自己責任か—— WEBメディア7社『健康格差』共同プロジェクト第5回 | BUSINESS INSIDER JAPAN

その上で、「健康なわたしたち」VS「不健康なあいつら(悪者)」という対立構造を暗に印象付けながら自説を主張していくのは、上品な議論とは言えないでしょう。「不健康なあいつら」は悪者ではなく、「ほんとうに気の毒な、まさかの体質や貧困によって患った生活習慣病」に悩まされている、それこそ十分に医療費をかけてサポートすべき仲間なのかもしれないのですから。

なお、フォローしておきますと、著者は本書の中で、

誤解しないでほしいのだが、これは、「病気になるな」ということでもないし、ましてや「病気になってはいけない」という意味ではない。あくまでも、私たち一人ひとりの人生のためにも社会全体のためにも、少しでも避けられる病気は避けましょう、そのためにできる投資をお互いにもっと意識的にしていきましょう、ということだ。

(第6章より)

 とも記されており、悪者扱いしているのではないということを強調しています。ですから、この「生活習慣病と自己責任論問題」については認識はされているのだとは思います。ただ、本当に誤解されたくないのであれば、上のような毒のある表現や対立構造は出てこないのではと江草は思います。個々が自ら生活習慣を改める行動変容を引き出す仕組み作りなど、「投資型医療」のコンセプトは確かに意義があるものと思います。しかし、その妥当性を主張することは「健康者VS不健康者」の対立構造を持ち出さずとも可能であったはずです。せっかくの議論の品格を貶めるような、不健康者を悪者扱いするような不必要な表現は避けるべきでしょう。

 

 ■では、自己責任患者は悪者か?

ちなみに本書から話は脱線しますが、上では、不健康者を悪者扱いすべきではない根拠として、「生活習慣病には生活習慣以外の要因もあること」を挙げましたが、その場合「では、もし純粋に生活習慣のせいで生活習慣病になった者がいたとしたら悪者としていいのか」すなわち「自己責任で病気になった者は悪者か」「少なくとも自己責任の分は部分的には悪いと言っていいのではないか」という疑問も出てくると思います。しかし、それでもやはり「自己責任患者は悪者」とは簡単に断じることはできません。

(少なくとも建前上は)日本は自由主義の国ですので、自由主義の考えに立つと、他人に危害を与えなければ、自分に不利益のあることでさえ自由にしてよいという、いわゆる「愚行権」の主張が可能です。この考えに立つと、自己責任で病気になる自由を悪者扱いされるいわれはないとも言えます。もちろん、それで医療費を使うのは「他人への危害」ではないか、などいくらでも反論は可能ですが、医療における自由主義パターナリズムにまつわる、高度な倫理的・哲学的議論が必要となるものであり、一筋縄ではいかない領域です。

愚行権 - Wikipedia

「健康は道徳、不健康は不道徳」 - シロクマの屑籠

このような背景を踏まえると、少なくとも、病気になった者を悪者扱いするのは慎重になるべきということは言えるでしょう。